海野氏の出自については、諸説があるが、ここ長野県東御市を中心とした往古の海野郷を根拠とした信濃の豪族であり、新張・望月の牧の管理者であった祢津・望月氏の両者と共に、東信濃にその基盤を築いた。
 平安末期、中央での政変「保元の乱」には、源義朝の下で活躍し、治承5年木曽義仲の白鳥河原挙兵に際しては、その中心的となって奮闘した。
 鎌倉時代になっても源頼朝や北条氏に武勇をもって重く用いられ、中央にも聞こえた弓馬の名家で流鏑馬(やぶさめ)の射手として活躍している。
 天文10年信濃侵略を企図した甲斐の武田信虎は、村上義清・諏訪頼重と連合して海野氏が攻め入られた。「海野平の合戦」と称せられるこの合戦は、海野氏は死命を制することとなった。一族の祢津・矢沢氏は降伏、当主海野棟綱は上野に敗走、嫡男幸義は戦死し、信州屈指の名族海野氏の正系はここにて滅亡した。
 なお、一族の真田幸隆もに上野に敗走したが、のちに武田氏に仕えその翼下として信濃攻略に活躍し、名門真田氏発展の基礎を築いた。

海野氏のルーツを探究のため、昭和52年に海野史研究会を発足。40余年にわたり調査研究し、その収集した資料等を右側の各項目ごとに編纂しましたので、クリックして御覧ください。

 古希をすぎて 2011.4.29開設           (last update 2017.7.24) 
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