「海野史研究会」は会長故宮下和友氏ら数名によって昭和52年1月1日に発足した。
史料収集・視察研修・講習会等を40余年にわたり開催を続けてきました。
これらの貴重な資料を残すために、研究活動の集大成として令和2年4月に約270頁余の「歴史研究海野」を発刊しました。
 その後に判明した事項は、随時追加・修正・編集しております。
              記
 藤原道綱(藤原鎌足から12代目)の母は、「蜻蛉日記」の著者で、兄は道隆、弟は道長である。道綱の孫の敦兼の娘が、中原頼成(広季)に嫁ぎ、長男が兼保(海野庄の海野家に婿入りし8代海野小太郎幸親と改名した)。次男の兼遠(頼季)は、後に木曽義仲の養父となり、兼遠の三女巴御前は木曽義高の母であると言われている。海野氏興亡史(5)「保元の乱と8代海野幸親」の項を参照してください。
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 古希をすぎて 2011.4.29開設          (lastupdate2023.11.15)
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