海野史を永年研究して、その内容を郷土の歴史として掲載

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海野氏について

 海野氏の出自については諸説があるが、信濃国海野郷(現在の東御市本海野)を本拠とした信濃の豪族であり、新張・望月の牧の管理者であった祢津・望月氏の両者と共に、その基盤を築いた。
 平安中期、海野・祢津・望月の三氏は、国司・牧官として下った中央の名門滋野氏と関係を結び、やがて滋野三家と称され、平安から戦国時代までの約700年の長きにわたって信州と西上州にまたがる地域を支配した信濃の名族である。

 保元2年(1157)中央での政変「保元の乱」には、源義朝の下で活躍し、治承5年(1181)木曽義仲の白鳥河原(現在の東御市本海野白鳥神社前の千曲川)挙兵に際しては、その中心的となって奮闘した。
 鎌倉時代になっても源頼朝や北条氏に武勇をもって重く用いられ、中央にも聞こえた弓馬の名家で流鏑馬(やぶさめ)の射手として活躍している。

 天文10年(1541)信濃侵略を企図した甲斐の武田信虎は、村上義清・諏訪頼重と連合して攻め入られ「海野平の合戦」で死命を制することとなった。一族の祢津・矢沢氏は降伏。当主海野棟綱は上野に敗走、嫡子幸義は戦死し、信州屈指の名族海野氏の正系はここにて滅亡した。
 なお、一族の真田幸隆も上野に敗走したが、後武田氏に仕え、その翼下として信濃攻略に活躍し、名門真田氏発展の基礎を築いた。その後上田・松代城主として今日に家名を伝えている。
             

古希を過ぎて 2011.4.29 に開設  (Last update 2012.4.19)

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